1999年10月23日 7:30最終日の朝も、TJYキャンプはあいかわらず慌ただしい。ガメラの整備をする池上さん、籾井さん。ガメラの充電状態をチェックする木村さん、立脇さん、朝食の準備と片づけをする佐藤さん、竹内さん、赤須さん。テントを畳み、荷物を車に積み込む須藤さん、鈴木さん、若松さん。充電中のガメラのカウルが風で飛ばされないように、いつも押さえている大黒柱・高橋君。そのあいだ、僕はみんなの寝袋を指令車につっこんで、指令車の掃除をする。
メンバーそれぞれがやるべきことを理解していて、いつの間にか役割分担ができている。このチームワークがなければ、ここまでは来ることはできなかっただろう。エンジニア、農家、会社員、教員、学生・・・。普段は、立場も年齢もバラバラのTJYのメンバー。しかし、ソーラーカーに対する情熱は誰にも負けない。それが、TJYである。 |
出発を前に、リーダーの鈴木さんが今日のドライバーローテーションを考える。今日のドライバーは、奇数日組の堺さん、佐藤さん、若松さんだ。次のメディアストップ、ポート・オーガスタまでは約50km。少し短いがこの区間を佐藤さんが担当し、アデレードまでの約280kmを若松さんと堺さんが半分ずつ乗ることになった。今日のレースでは、一般車と一緒にアデレード市内を走行するため、経験豊富な堺さんがトリを務める。
午前8時15分、ガメラはアデレードへ向けて最終日のスタートを切った。風もあまり強くなく、コンディションは問題なしである。今日は最初からフル・スロットル指示。まずバッテリーの心配はしなくてよいので、マネージメントとしてはかなり暇になってしまう。する事といえば、15分おきの定時連絡でバッテリーの状態をチェックするだけ。
僕はしばらくの間、ずいぶんと緑の多くなった外の景色を堪能することにした。道の先には、もうすぐ海が見えるはずだ。
1999年10月23日 09:03 - ポート・オーガスタ (2716km地点)
ガメラから降り立った佐藤さんの顔は、妙に晴れ晴れとしていた。なんでも、フルスロットル走行を経験したのは今回が初めてだったらしい。短いなりに、十分に堪能していたみたいだ。
最後のメディアストップは、塩湖のそばのガス・スタンド。緯度が高いせいか、ポートオーガスタの空気は、少しひんやりしていてすがすがしかった。蒸し暑いダーウィンの空気を思い出すと、長い距離を旅してきたことを実感する。そう、僕たちは、もう7日もこんな旅を続けてきたんだ。その旅が今日終わってしまうのかと思うと、少し寂しくなる。
オーストラリアのガス・スタンドは商店も兼ねていて、水やお菓子、生活用品も手にはいる。店内を物色していると、同じ日本からの出場チーム、青山学院、育英高専のメンバーが入ってきた。先行隊のようだが、すぐ後ろまで迫ってきているようだ。
出発までまだしばらく時間があったので、僕はガス・スタンドのすぐ隣にある塩湖へ足を伸ばしてみた。
そこに広がっていた光景に、思わず息をのむ。岸辺は雪のように白い塩。岸から離れるにしたがって、湖水に溶けた塩分がさまざまな色で湖面を彩る。その色は、塩分濃度や陽の当たり具合で、様々な色に見えるらしい。紫の湖面に映る青い空、白い雲。僕はしばらくのあいだ、その不思議な光景から目が離れなかった。
外の景色はすでに砂漠ではなくなっている。牧歌的な風景が続き、陽の光もすこし柔らかく感じる。
正午少し前、ガメラの発電量は瞬間的に定格を大きく上回る591Wまでに達した。太陽電池は温度が上がると効率が落ちてしまう。充電中の太陽電池に水をかける光景がよく見られるのは、少しでも温度を下げて発電量を上げるためなのである。また、雲一つないときよりも多少の雲が出ている方が発電量が上がることが多い。雲が南部へ入って気温が下がったことと、程良く雲が出たことが重なったのが良かったようだ。
12時01分、最後のドライバー交代。アデレードまで残り150kmのあいだガメラを預かるのは、スタートのときと同じくベテランの堺さんである。
ドライバー交代のタイミングは、基本的に3人のドライバーが同じ時間を走れるように考慮して決めるが、TJYではタイムロスを無くすためにメディアストップでは必ず行っている。もちろん、地形の考慮も必要だ。見晴らしがよく、ある程度のスペースが確保でき、坂を上りきって下りに入るあたりならばベストである。坂の上がいいのは、加速に必要なエネルギーを少しでも減らすためだ。
TJYでは指令車でだいたいの位置を決めたあと、先導車が先行して実際の場所を目で見て決定している。
ドライバーを交代したところで、念のためバッテリーの状態を確認してみよう。現在のバッテリー残量は55%。今の速度から計算すると、ゴール到着予想時刻は14時30分から15時頃。ワークシートによると、15時におけるバッテリー残量曲線は約20%を示している。天候もまず心配の必要はない。ただ、アデレードに近づいて交通量がだいぶ増えている。ここからは、今まで以上に一般車への注意を払わなければいけない。残念ながら、一般車とぶつかれば壊れるのは確実にソーラーカーの方である。この安全上の問題も、ソーラーカーが一般的な乗り物として普及しない一因なのだ。
14時06分、ついにすぐ後ろまで迫っていた育英高専に抜かれてしまった。ゴールを目前だけに悔しいが、相手はガメラの3倍を超える発電量の二人乗りクラスである。二人乗りクラスは車体全面に太陽電池を貼ることが許されているため、今日のような好天では圧倒的に速いのだ。今日は本領発揮というところだろうか。80km/h近い速度でガメラを追い越していった。
1999年10月23日 14:19 - ジプス・クロス (2999km地点)
そして、ついに計時ポイントであるジプス・クロスを通過。ここでの順位が公式記録となり、ゴールであるビクトリア・パークまではデモ・ランとなる。しかし、ここで気を抜くわけにはいかない。ビクトリア・パークまでの経路を誤らぬよう、事故を起こさぬよう、チーム内に今まで以上に緊張の糸が張りつめた。